皆様には、大変ご心配をおかけしております。
平成27年1月20日 母 宇田川ミツが永眠いたしました。
末期ガン余命1年と宣告されてから、1年9ヶ月の闘病生活でした。
母は、よく頑張ったと思います。
病気が分かったのは平成25年20周年記念公演第一弾「call me call you」の顔合わせの二日後でした。私が主演だったという事も有り心配をした演出から降板するかという話も頂きました。母は、お店を経営していて働く事が大好きな人だったのでそんな状況でも板の上に立ち続けなければいけないと思い、全ての仕事をキャンセルせずにやり遂げると決めました。
セカンドオピニオンで二つの病院に入院し、抗がん剤治療が始まりました。とてもしんどそうではありましたが、痛みが軽減され前向きにがんばっておりました。
そして、「Dear Friends」大阪公演の最中に母からガンがほとんどなくなったらしいと電話をうけました。とても喜んでいました。主治医もこんなことは本当にまれで、めずらしいと驚いておりました。CTの結果もとてもキレイだったのを覚えています。
それから、治療を少しやすみながら様子をみていたのですが、昨年の夏あたりから体調がわるくなり「メイツ!」終了後すぐに入院となりました。11月末頃、主治医からは、抗がん剤治療は体調面からみてもうできないということと、治療ではなく痛みをどう緩和していくかという方針にきりかえるとの説明がありました。CTもみせてもらいこの状況だとあまり時間はありませんと告げられました。
余命一年と宣告されてから母はだいぶ落ち込んでしまったので、兄弟で話し合った結果母にはもうあまり時間はないという事は伝えない事にしました。
12月病室で「セブンフレンズ セブンミニッツ」公演のパンフレットを一生懸命みながら、看護士さんに自慢している母がいとおしかったです。
年が明けて少し体調もよくなってきていたのですが、10日あたりから母自身自分の体調に変化を感じ「なにかおかしい」と話していました。たぶんもうそろそろだと感じていたんだとおもいます。亡くなる4日前お見舞いにきていた母の友人に子供達を呼んでほしいと頼み兄夫婦がかけつけ自分が死んだ後の事、葬儀の事まで筆談を交えながら話、もうお別れだからと涙をボロボロながしていたと翌日兄と二人でお見舞いにいった時に兄が話してくれました。一番私の事を心配していたと。横にいる母は、もう喋る事もままならず筆談も難しい状況でありました。今思えば、お別れだと言った日は、母が自分が自分で分からなくなる前に最後に想いを伝えないといけないと振り絞ったんだと思います。
二日後主治医の説明を聞きに病院にいったときにはもう私を認識しているのかどうなのか分からない状況で、医師からは週単位あるいは急変もありえます、できるだけそばにいてあげてくださいといわれました。
その晩、今思えば、父が亡くなった時と同じ夜でした。あまり寝られず気が立っていて落ち着かない。兄も寝られなかったといっていました。
翌朝早くに母は息をひきとりました。
死にめには会えませんでしたが、病院に到着し、まだ暖かい母を感じる事ができたので良かったです。
母が亡くなって荼毘にふされるまでの4日間、母はたくさんのことを私に気づかせてくれました。沢山の人に見送られ、本当に寝ているような安らかな最期でした。
翌朝私は大阪に向かいました。
母が亡くなる1週間前に声にならない小さな声で「がんばって」といっていた言葉が今でも耳に残っています。それが母ときちんと会話した最後でした。だから頑張るしかないと。
正直行きの新幹線の中でも、まだ泣いていました。
人の涙ってこんなにでるものなのかというほど泣いてないてないたのに。止まりませんでした。
でも、不思議と劇場についたら心が落ち着いてとても晴れやかな気持ちになりました。
「D・ミリガンの客」土曜日の夜公演を客席で観させて頂きました。大阪キャストの皆さんにパワーをもらいました。
翌日千秋楽ゲスト出演の際に、客席の一番うしろに母の遺影を置かせていただきました。不思議と母をとても近くに感じました。
今出来るパフォーマンスを精一杯やらせて頂きました。
お客様の笑い声、笑顔にとても元気をもらいました。
昨日大阪から戻り、初七日を終え、夕べは久々に深く眠る事ができました。
Twitterで皆さんが心配してくださっているのは、目にしておりました。ご心配をおかけしました。
頑固で気が強くて、でも本当はとても寂しがりやでやさしくて笑顔の素敵な可愛らしい母でした。さぞ無念だったろうと思います。自分も、舞台を優先したこともあったしあの時こうしていればよかったと後悔ばかりの毎日でしたが、お店を経営していた母のように沢山のお客様に愛される人になれるようにこれから頑張っていきます。もう、母と話すことも、触れることも、一緒に笑うことも出来ませんが、生きたくても生きられなかった父や母のぶんまで、頂いた命を最後まで燃焼させてお客様の人生の安らぎそして楽しみになれるような俳優を目指して頑張ります。
生きているという事は、とてもすばらしい。
好きな人にあって、好きな所にいって、お腹いっぱい食べられて、いっぱい笑って、ぐっすり眠れる。
それらすべてが、キラキラ輝いているんだなとおもいます。
母は、最期まで強い人でした。
私も、そうなれるように頑張ります。
まだ、心身ともに元気になるには時間がかかりそうですが、待っていてください。
そしてこれからも、俳優 宇田川美樹をどうぞよろしくお願い致します。
平成27年1月27日 劇団6番シード 宇田川美樹